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◆ベルトコンベア式汚泥乾燥機の開発成功までの道のり (2005〜2006年)

ベルトコンベア式塗装汚泥乾燥機が開発成功するまで長きに渡りました。
弊社はこの塗装汚泥乾燥機を開発成功させるまで4号機まで失敗しようやく5号機目で乾燥良好な結果を得ました。
今現在はその苦労も実りコンベア式塗装汚泥乾燥機、お客様の施設で無事順調稼動中です。
お陰さまで特許も申請致しました。

下記に弊社開発のベルトコンベア式汚泥乾燥機の開発成功に至るまでの苦労話を掲載しております。
どうぞお時間の許す限りお読み頂ければ幸いです。

又、今内容は我が社のブログに連載掲載した抜粋です。

下記クリックしていただければその話の先頭へ飛びます。
【前文】 【弟1話】 【弟2話】 【弟3話】 【弟4話】 【弟5話】 【弟6話】 【弟7話】 【最終弟8話】

 



【前文】

ベルトコンベア式塗装汚泥乾燥機

上記写真は特許出願済みのベルトコンベア式汚泥乾燥機。
今現在第1号は既に稼動中だ。
塗装汚泥の乾燥で使われており順調に運転中だ。

実はこの汚泥乾燥機。
成功するまでにかなりの苦杯をなめさせて頂いた。
成功するまでに何回も失敗した。

第1回目の製作時には失敗するなど夢にも思っていなかった。
端(はな)から成功すると信じきっており全く心配などしていなかった。

ところが。何回も失敗する。
結局開発製品、試行錯誤の製品になってしまった。

実はこのブログには一切書かなかったがこの汚泥乾燥機には色々な成功秘話が
隠されている。
その秘話を含め成功に至るまでの経緯を、これから何回か分けて書いて行きたい。

製作当初はこの汚泥乾燥機が自社製になるとは夢にも思わなかった。
又、特許を出願するなどその特許という言葉自体が存在していなかった。

最初は共同制作の形をとった。
発注はエンドユーザーではなくあるメーカー。
今にして思えばそのメーカーがあきらめたお陰で今現在があるとも言える。
このメーカーは決して変な会社ではない。
立派な会社だ。
最終的にはお金も払って頂いた。
もう僅か実は残っているのが。

しかし、時の流れとは判らない。
未来の事など誰も判るはずもない。
だからこそ予想などせずに今現在を一生懸命生きて行くだけだ。
決して未来をそして過去を生きているのではなく今現在を生きているのだ。

その結果が今回のベルトコンベア式汚泥乾燥機の成功そして特許出願に繋がったのだと思う。
そしてそれは決して自分ひとりの力では決してできることではない。
たくさんの人が係わりそして助けられた。
恨みなど一切ない。あるのは感謝だけだ。

その当初発注メーカーのこの乾燥機の担当者は今現在我が社の東京出張所の
メンバーだ。
今現在もたいへん助けて頂いている。

本当に未来は何が起こるかは予想できないし、するだけ無駄である事を痛感させらた
出来事であった。

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月11日掲載。   目次へ戻る。
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【弟1話】

(弟1号機)

最も最初のベルトコンベア式汚泥乾燥機の様子は下記写真の通り。
構造として汚泥を上下スチールコンベアベルトで挟んだ状態で運ぶ。
この上下のコンベアベルトを蒸気にて加熱し、ベルト事体の温度を上げその加熱され
高温になったベルトで汚泥を乾燥させるという方法だ。

上下コンベアベルト共に加熱する事により、汚泥をより一層乾燥させることができるという
考えだった。
ところが予想以上にベルトの温度は上がらず、汚泥も乾燥はしたのですが必要な乾燥状態
には至らなかった。

蒸気でベルトを加熱すると確かにベルトの温度は上がる。
しかし、加熱方法が蒸気なため、時間がたつにつれ液化され100℃以下の水になる。
その雰囲気温度で冷却された蒸気が水となり、その水がベルトを冷やす役目を果たして
いたようだ。

いくら蒸気でベルトを加熱したとしても、その周りの空気で冷却された蒸気から液化された
水により結局コンベアベルトは冷やされていたようだ。

しかし、この方式でもある程度の乾燥は可能だ。

今回の乾燥機の特徴はあくまでも火を使わない。
そして今現在動いているラインを置き換えるだけで使用できるコンベア式。
安全、省スペース。
熱源は工場の余った蒸気を使用するためランニングコストが非常に安価。
これらにこだわった製品だ。

このコンベア式汚泥乾燥機。第1号機。
構造は非常に簡単です。そしてある程度の乾燥であれば問題はない。
しかし、その乾燥の程度が低かったため結局は解体されただった。


第1号機。外観の様子。

1号機 外観

上下スチールベルトで挟み込む構造。

1号機 コンベアベルト挟み込み構造

投入口。


1号機 投入口

排出口。乾燥の様子。

1号機 排出口


このコンベア式汚泥乾燥機第1号機。
我が社は成功する頭しかなかった。
成功するのだろうとひたすら信じて製作していた。

そして当初は短納期要請だったため、休日返上の上毎日夜遅くまで残業続きで
製作していたのをいまだに克明に覚えている。

そして試運転もかなりの日数を要した。
この構造で様々な方法を試した。
しかし、結局うまくいかなかったのだ。
まさか失敗するとは。

エンドユーザーから注文受けたのは我が社へ発注したメーカーだ。
最終的にはこのメーカーが結論を出すことになる。
その際のメーカーの担当者。
今の我が社の東京出張所のメンバーが失敗と判断した。
しかし、誰の目から見ても決して成功ではない。
そして、その担当者は一旦会社に戻り再度挑戦する事になった訳だ。

しかし、この製作、そして試運転だけでも我が社にとってはかなりの金額に及んだのは
書くまでもない。
担当者の一旦引き上げるという話はとても信じられなく、しばらくは内容が理解できかった。

この共同制作の範囲は、我が社は主にコンベア部分。そして製作。
そしてメーカーはその他の部分。そして総括。
乾燥機の構造は我が社ではなくメーカー主体で行った。

しかし、次回はきっと成功するだろうと信じていました。

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月12日掲載。    目次へ戻る。
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【弟2話】


(弟2号機)

特許出願済みのベルトコンベア式汚泥乾燥機。
第1号は失敗に終わった。
そして第1号は解体され次なる汚泥乾燥機へと変身がなされた。

その様子は下記の写真です。

それでは第2号はどこを改良したか。
第1号では熱源の量が足りないため、熱源を増やす事を考えた。
この考えは弊社よりも提案した内容だ。

このコンベア式乾燥機の熱源はあくまでも蒸気。
工場で余った熱源を利用する。

先ずはコンベアベルトへ蒸気を当てベルトを熱し、その熱で乾燥させている。
それも搬送中汚泥を上下のベルトで挟んで乾燥を試みている。
その方法はそのまま利用した。

そして、追加した内容がある。
それはスチールベルトコンベアのヘッド(前)とテール(後)のプーリー(ドラム、ローラー)を
蒸気で加熱させるという方法だ。
実は蒸気は圧と密接な関係がある。
蒸気の圧を上げれば上げるほど温度が上がる。
それはある閉じこまれた空間の中の蒸気の圧を上げると、構成する分子の活動が
活発になり温度が上がるのだ。

その現象を利用し、プーリーのパイプ部分に蒸気を入れなるべく圧を上げられる構造とした。
上下コンベアで挟み込んでいるのであるから、当然プーリー(ドラム、ローラー)も上下で
汚泥を挟み込み乾燥させることができる。
速度はゆっくりとしているため上下のプーリーで加熱する時間も取れる。
これによりスチールベルトコンベアのコンベアベルト進行中以外にもヘッド(前)、
テール(後)のプーリーでも加熱できる構造としたのだ。
このプーリーの加熱温度は蒸気の圧が上げそして保つことが出来たため
かなりの温度を上げる事に成功した。
そして、このプーリー加熱については成功した今現在でも行っている。

この第2号コンベア式汚泥乾燥機は前後の上下プーリー(ローラー)部分で高い温度で加熱。
そしてスチールコンベアベルト上下で加熱する構造としたのだ。
それにより加熱量、加熱範囲はかなり増えた。

実際に塗装汚泥の乾燥開始。
もちろん第1号機よりは乾燥具合もよくなった。
私はこれで成功だと信じていた。

しかし、期待した数字。乾燥した含水率が客先要望より高い。
つまり客先要望通りの数字が出ないのだ。
期待した乾燥した汚泥が出てこないのだ。

試行錯誤を繰り返すがやはりダメであった。
又しても失敗。

この第2号も解体することに。

既にかなりのお金をつぎ込んでいる我が社。
心配がどうしても先に立つ。
しかし、うまくいかなければ納品できない。
成功しなければ客先には設置できない。
つまりお金が回収できない。

次なる方法を考えることに。
もちろん発注メーカーの担当者。
今現在の我が社の東京出張所のメンバーは休日無し、そして夜遅くまで残業しながら
試行錯誤していた。
我が社の職人も同様だが。

我が社は既に莫大な金額をつぎ込んでいる。
既にやめるわけにはいかない。
エンドユーザーからの矢の催促もある。
それだけ期待された乾燥機なのだ。

一旦担当者は引き上げる事に。

次こそは成功すると我が社は誰しもが信じていた。
それだからこそ続けたかもしれない。


2号機外観。
プーリー(ローラー)へ蒸気配管が追加されているのが判る。

2号機 外観

夜遅くまで何日間も試運転。

2号機 試運転

投入口。

2号機 投入口

そして排出口。ヘッド部(前)のプーリーにも配管が追加されている。
塗装汚泥の乾燥具合は1号機よりも良かったのだが。

2号機 排出口

参考までに下記は高周波加熱機の写真です。
蒸気の温度を上げる方法には上に記した蒸気の圧を上げる方法と蒸気そのものを
加熱して温度を上げる方法があります。
写真は高周波で蒸気を加熱する加熱機です。
これは今流行のIHクッキングヒーターの熱源と同じです。
この機械もレンタルの上使用してみました。
ある程度効果はあったのですが、この機械はかなり高額です。
その金額に見合った効果は出ませんでした。

高周波加熱機01
高周波加熱機 02

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月13日掲載。    目次へ戻る。
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【弟3話】

(弟3号機)


ベルトコンベア式汚泥乾燥機。
この汚泥乾燥機も3号機目となった。
その写真は下記の通り。

実際試運転している様子。見た目は実は2号機とは何ら変わらない。

3号機 試運転

今回3号機で必ず成功させる。
その意気込みで当然我が社は対応した。
もちろん当時メーカーの担当者そして今現在我が社の東京出張所のメンバーも同様だ。
誰もが成功を信じ、設計、製作そして試運転を実行した。

それでは今回紹介の3号機と2号機ではどこが違うのか。
見た目、外観上はあまり代わり映えはしない。

2号機で改良したヘッド(前)そしてテール(後)のプーリー(ローラー)での加熱はとても
効果があった。
蒸気が密閉されたパイプの中を通るだけの機構ではあるが、
1)パイプ内の蒸気が外気に触れることがない。
2)パイプ内を通した蒸気の圧が高まり内部の温度がかなり上がる。
の2点の要素により期待以上の加熱が出来た。

今回3号機はこの原理を他の部分へ応用する事を考えた。

それは上下テールのプーリー(ローラー)が取り付いている投入部で、投入された塗装汚泥はかなりの温度で加熱される。
その上下プーリーを通り過ぎると蒸気で加熱されたスチールコンベアベルト上下で挟まれた部分でより一層加熱され乾燥されるはずだ。
ところが蒸気をコンベアベルトへ直接かけると外気に触れる、そして蒸気圧を保てない。
そのため一向に乾燥しないのだ。
肝心の挟み込みベルトコンベアの乾燥部分での乾燥がうまくいかないのだ。

それではコンベアベルトを加熱させる際、蒸気を直接かけるのではなくコンベアベルトを受けている部分を加熱しその温度でベルトの温度を上げてはどうか。
コンベアベルトを滑らせている部分を蒸気で温めその熱でコンベアベルトを加熱してはどうであろう。
早速実行に移った。

そのベルトの滑り受け部はなるべく高い圧を保てるよう密閉構造とした。
蒸気は圧が上がれば上がるほど温度が上がる。
なるべく密閉構造にし、その上、下をスチールコンベアベルトを滑らせる。
その密閉部のコンベアベルト受けの滑り部へ蒸気を入れる。
そして密閉構造のため圧がなるべく保たれ温度が上がる。
コンベアベルトの受けの滑り部は高い温度で加熱されそしてその温度がコンベアベルトへ
伝わる。
これにより直接コンベアベルトへ蒸気をかけるより温度は上がるだろうと誰もが予想した。


既に納期どころではない。
お金もかなりつぎ込んでいる。
一刻の猶予もない。
今回成功させなければ我が社はもしかしてこの世での存在価値は果たして。。。。
嫌な予感がありながらも必死に製作終了させそして試運転。

塗装汚泥を投入し後は出口で待つ。
ベルトコンベアの速度は遅いため出口で待つ時間は長い。

しかし、ひたすら待つ。
そして出てくる。
メーカーの担当者が前に出る。
乾燥された塗装汚泥をじっと眺める。
そして手にもつ。
そこのは笑顔はない。
果たして結果は。

重量計で重さを測る。
投入の際の重量とコンベア式乾燥機3号で乾燥され排出された塗装汚泥の重さと
比較する。
う〜ん。結果は果たして。
実は。。。。。

思い通りの結果では決してなかった。
乾燥できていない。

担当者のひきつった顔つきを今でも鮮明に覚えている。
失敗である。

では何故今回も失敗したか。
密閉構造のため温度はかなり上がったはずだ。
しかし、その上がったはずの温度がコンベアベルト受けの滑り部へ伝わっているはずなの
だがのだが中々上がらない。
時間経過と共に上がっても良いのだが、いくら時間がたっても一向に温度が上がらない。
実はコンベアベルトがスチールベルトのため特殊な材質の部品をベルト受け滑り部に
取り付けていたのも一因だろう。
その滑り部の温度が上がらない事にはコンベアベルトの温度が上がるはずもない。


私はこの瞬間本当に我が社の行く末を案じた。
これで私はいよいよ我が社はとまで思った。

しかし、あきらめなかった。
我が社は決してあきらめなかった。

今回の試運転時間はかなり短かった。
ダメであるとわかると即座に解体。
一刻の猶予もない
そして次なる手段を講じることに。
そして次回こそは成功ともちろん書き記したかったのではあるが。。。。。

予想される今回の失敗の原因を書きたい。
蒸気は水蒸気であるため100℃以下になると必ず液化する。
今回は閉じられた空間のためもし液化していたのであれば周りの熱エネルギーを奪う。
蒸気加熱で最も怖いのがこの液化である。100℃以下に下がると当然水になる。
この水は更なるエネルギーを奪う。

蒸気を投入された当初はかなり温度は上がるはずだ。
しかし、加熱された密閉部から熱を伝えるべく箇所へ熱が100%伝わらなければどうなるか。
伝わったとしても加熱されなければ密閉部の温度は下がる。
単に熱エネルギーが奪われているだけのはずだ。
そのため密閉部の温度が下がれば液化という現状もありうる。
一旦液化されると蒸気はいくら入ってこようと熱エネルギーは奪われ、密閉部事体の
温度は上がらない。

私なりに書いてみた。
間違っていればどしどしご指摘を。


3号機の外観。見た目は2号機とあまり変わらない。

3号機 外観

メインのコンベアベルト挟み込み乾燥部。進行方向向かって右側。

3号機 向かって右

メインのコンベアベルト挟み込み乾燥部。こちらは進行方向向かって左側。

3号機 向かって左

3号機。投入部。

3号機 投入部

そして3号機。排出部。

3号機 排出部


もう既にいろいろな面で一刻の猶予もない状態だった。
即座に解体。そして更なる製作に入った。
この時期は既に11月後半。
確か受注したのが8月盆休み明けくらいだった記憶が。
既に4ケ月近くの月日が経っていたのか〜。

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月15日掲載。    目次へ戻る。
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【弟4話】

(弟4号機)

特許出願済みのベルトコンベア式乾燥機も第4号機と進んだ。
この4号機の製作までの期間は3号機解体後そんなにかからなかった。
それは改良内容が多くなく、連日夜遅くまでかかり、我らが職人が猛スピードで
仕上げたからだ。

4号機の外観写真です。
外観上は3号機とは全く変化はありません。
つまり2号機とも代わり映えしないことになります。

4号機 外観

では4号機で何を改良したか。
それはこのコンベア式乾燥機のメインの加熱部分である、スチールコンベアベルトの
加熱方法を改造した。

前回3号機はコンベアベルトの受け滑らせる部分を密閉構造とし、そこの温度を上げ
コンベアベルトの加熱を試みた。
しかし、思い通りの成果は上げる事は出来なかった。

その、コンベアベルト受け滑り部分への加熱はコンベアベルトの進行方向に向かって
中心部分のみとしていた。
実際乾燥させる塗装汚泥が進行する範囲はコンベアベルトの進行方向に向かって
そんなに左右には広がる事はなかった。
そのためコンベアベルトの中心部分の狭い範囲のみの加熱としていた。

4号機はそこを改良。
コンベア部分の一部ではなく全面を加熱する方策を取る事にしたのだ。
蒸気でコンベアベルト受け部分全てを加熱することにした。

なるべく密閉構造とし、その部分に蒸気を入れ圧を上げ温度を上げる。
今回はかなり広い範囲を一度に加熱しその温度でベルトを温める。
今回は狭い範囲ではなく、ベルト全面に渡って加熱できるのでコンベアベルトの温度は
かなり上がると予想した。
コンベアベルト受け、滑り部分全体を加熱し、その温度がベルトへと伝わりかなりの高温まで
コンベアベルトの温度は上がるだろうと期待した。
前回3号機より加熱範囲は3倍以上に増えた。
蒸気で加熱する範囲が大いに増えたことになる。

ところがだ。思わぬことが起きた。
信じられないことが起きた。
このまま試運転を続ければ事故に繋がる危険さえあったのだ。

今回4号機は蒸気圧で温度を上げるためもちろん密閉構造とした。
蒸気は圧が上がれば上がるほど温度も上がる。
密閉された空間での分子エネルギーの運動が活発になるため当然温度は上がる。

そしてそこへ入った蒸気の排出口ももちろん取り付けていた。
それは計算上は決して間違っていないはずだ。

ところがだ。
排出の量が少なかったのだろう。
次第に密閉されたベルトの受けの部分が膨らみ始めた。
メリメリという音と共に脹らみ始めたのだ。
最初は何の音かは判らなかった。

蒸気を入れて排出され入るはずなので当初は判らなかったのだ。
目に見えて変化がわかるようになる。
ベルト受けの部分が本当に膨らみ始めたのだ。

事の重大さに気づき蒸気を焚くボイラーの運転を停止する。

つまり入った蒸気が出口から出ないため、次から次へと入ってくる蒸気の力で
その密閉された空間を広げたのだ。
その広げる力がコンベアベルトの受けの部分を膨らまし続けた事になる。

このベルト受けの部分はステンの厚い板の溶接と曲げの構造でかなり頑丈にできていた。
そのためかなりの蒸気の力でも耐え切れたと思われる。

もしかしてこのまま蒸気を入れ続けたとしたら俗に言う水蒸気爆発さえ起こり得たのだ。

この原因は排出口のつまりにあったようだ。
そのため排出口から思い通り蒸気が出て行かなかった可能性が考えられる。

今回4号機も誰の目から見ても失敗。
その上乾燥機事体もかなりの損傷である。

一体どうすれば良いのか。

実はこのコンベア式汚泥乾燥機に状態を痺れを切らし、エンドユーザー方がわざわざ遠方より新幹線で来られた。
その際はまだ膨らむ状態ではなく試運転の真っ最中であった。

4号機は試運転ができなかった訳ではない。
ある程度の時間は実際塗装汚泥を流し、乾燥の状況を見る事はできた。

結果はかんばしくなかった。
この様子はエンドユーザーの方もご覧になっていた。

我が社も行く末はどうなるのか。
一体これまでかかったお金は回収できるのか。

幸いこのコンベア式乾燥機のみ我が社は製作していたわけではない。
他にも物件目白押しであった。
銀行にも大変お世話になり何とか資金繰りはついてはいた。

しかしだ。成功しない事には我が社にはお金は一銭も入ってこない。
是が非でも成功させなければ我が社もいずれかはどうにかなる。

この発注メーカーの担当者は再びその当時の自社へ引き上げ検討する事に。

我が社はこのコンベア式汚泥乾燥機に時間を取られながらも連日夜遅くまで残業の日々。
もちろん休みなどない。
この乾燥機がうまくいかない以上地道にお金が入る物件をこなさねばならない。
実は他の物件でも多少の失敗は確かにあった。
しかし、いずれも最終的にはうまく行きお金の回収は順調であった。
たくさんのお客様に助けられたことになる。
本当に感謝だ。

そしてこのベルトコンベア式乾燥機。
発注したメーカーより信じられない言葉を聞かされことになる。

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月16日掲載。    
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【弟5話】

(弟5号機)

特許出願済みベルトコンベア式汚泥乾燥機。
実際、今現在塗装汚泥を乾燥させている。

実に4号機。4回挑戦していずれも失敗に終わった。
その4号機が失敗に終わった頃は既に去年2005年の年末。12月に既に入っていた。
季節も冬となり寒さも厳しくなりつつあった。
このコンベア式乾燥機。実際我が社で始動始めたのが8月盆休みの残暑が厳しい頃。
夏が終わり秋も既に越し、そしてついには年末の冬の季節に入った。
約5ヶ月目に入り始めた。

これまでに一度も成功していない。
失敗続きだ。

このまま年を越してしまうのだろうか。
そんな不安が頭から去らない。
一体成功させるためにはどうしたら良いのだろうか。
このまま失敗のままではわが社の社運はいかなる事に。
これまでにかけた金額からして果たしてこの世に存在できうる会社でいられるのか。

夢にまでこの乾燥機が出てくる日々が続いた。

これは私だけではなかっただろう。
夜遅くの残業そして休日無しの毎日。
その毎日をもろともせず力の限りものづくりに励んでいた我らが職人にとっても同様であった
に違いない。

既に社運が大きくかかったコンベア式汚泥乾燥機。
ついに思いもしないことが起きた。

このコンベア式乾燥機。
4号機が失敗に終わり次なる5号機の製作にかかるまで少々期間があった。
5号機の製作は4号機失敗の後即座に開始されたのではない。

実はこの乾燥機そのものの技術的問題以前に乾燥機に携わる人そして会社に
難問が浮き上がってきたのだ。
それは金銭面で一銭も回収できていない。
お金は出て行く一方だ。全く入ってこない。
それが今まで長期間続いている。
そうなると会社の存続は当然きつい。
お金を回収しない事には払うべきところへ払えない。
当然の流れだ。
そのため発注メーカーにしてもこれまで結構なる資金をこの乾燥機に対して
提供しているはずだ。
幸い我が社は我らが職人の頑張りのお陰で銀行にも力を借り、資金繰りは
何とかこなしていた。
もちろん我が社へ注文いただいたたくさんのお客様のお陰だ。

この乾燥機の製作期間中も大きな物件はいくつもあった。
それを休日出勤そして残業によりこなしていたことになる。
我らが職人の頑張りは相当なるものであった。

しかし、このコンベア式乾燥機に関する人間そして会社にまつわる内容についてを
具体的に書くのは躊躇したい。
それを書くのは人間として少々人格に欠けるといわざるを得ないであろう。

そのため結果のみを記しておこう。
1.乾燥機が成功し、無事エンドユーザーが支払ったお金は発注メーカーを経由して
  我が社へ何度かに分けられ即座に振り込まれた。
2.この乾燥機の担当者は今現在我が社の東京出張所のメンバーとして活躍して
  頂いている。

これ以上は決して今後も書けないし、又一切書くつもりはない。

但し、当時発注メーカーの担当者については書いても差し支えないであろう。
今現在我が社の東京出張所のメンバーだ。

それはこの人物のお陰で成功した言っても過言ではない。
まさしくこの人物のお陰でこのコンベア式汚泥乾燥機。無事成功し、今現在稼動しているのだ。

サラリーマンであるにも係わらず、そして決してかなり困難な立場に陥ったにも係わらず。
この乾燥機の為に存分に力を尽くして頂いたし、そして今現在も力を発揮して頂いている。

一人のサラリーマンとしてではなく、一人の技術者、開発者としてこの乾燥機に付いてきて
頂いた。
これはサラリー、給料お金以上に大切な優秀な技術者としての心意気が存分に我が社、
私達に存分に常に伝わっていた。
情熱だろうか。ものづくり、成功に対する技術者魂であろうか。

まさかこれほど全身全霊を掛けこの汚泥乾燥機、我が社の為に力を尽くしていただくとは。
信じられないくらいの行動であった。

この人物のお陰である意味我が社は救われた。
この人物がこの乾燥機の成功するために、存分に力を発揮して頂いたお陰でこの
汚泥乾燥機はいよいよ5号機で成功する事になる。

この4号機をどう改造するかという議論が始まった時点で既にサラリーマンでは
なく一人の我が社を救う開発者へと変身していただいた。

一体何がそうさせたのだろう。
一体何故生身の体を我が社へ差し出してまで力を尽くしていただいたのだろう。
それは本人には聞いていないし、又聞こうとも思わない。
その行動がその本人の進むべき道を現しているのだから。

何度も書く。我が社は本当に助かった。
この人物のお陰で。
会社というブランドを背負う事を拒否してまで、この汚泥乾燥機、我が社を成功へと
導いていただいた。
果たしてこれほどの人物がいまだ日本のいう国に存在していたとは。
嬉しい限りの信じられないほどの出来事であった。
日本の技術を大いに支えている人物が又しても乾燥機、我が社へ技術力を
存分に発揮したのだ。

今までの文章で果たしてこの人物の偉大なる乾燥機そして我が社への功績は伝わる
だろうか。
もし伝わらないとすれば、何度も書き直す必要があるだろう。


ついに成功したベルトコンベア式汚泥乾燥機。5号機。
下記に写真を掲載します。

外観。4号機からかなり変貌を遂げています。

5号機 外観

5号機。投入口。

5号機 投入口

5号機。排出口。

5号機 排出口

そして実際乾燥に成功した塗装汚泥。
この箱に溜まった乾燥した塗装汚泥からは成功という湯気が出ているのが
一部の人間にだけ見えるのは本当でしょうか。

5号機 乾燥チップ

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月18日掲載。    目次へ戻る。
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【弟6話】

(弟5号機)

特許出願済みベルトコンベア式汚泥乾燥機。
4号機まで失敗に終わりいよいよ5号機目ということになった。
この5号機改造製作するに当たって、エンドユーザーへ私も飛行機で足を運んだ。
その際、当然ではあるが、一刻も早く成功しそして、一刻も早く納入してくれとの要請を受けた。
かなり期待されていた汚泥乾燥機には間違いなかった。

実はこのお客様は他の方法で実際汚泥を乾燥させた過去があるらしい。
しかし、いずれも失敗だった。
そのため今回のコンベア式乾燥機にかける期待はかなりのものだったに容易に想像できた。

4号機の次の5号機での成功への道のりに残された時間はなかった。

しかし、実は我が九州は福岡、博多の町工場。
5号機改造製作にかける人手と時間はないに等しい状態の時期であった。
ちょうどその頃短納期のそれもかなり大きな物件の受注があり、その製品の製作に
人手をかけなければ到底その納期には間に合いそうもない状態だったのだ。

しかし、5号機は必ず成功させ納品しなければならない。
そして残された時間は皆無に等しい。
私には最早このコンベア式乾燥機。汚泥乾燥機には到底かける時間はなかった。

そのためこの5号機に力を発揮してくれる人物に頼るしかなかったという事情もあった。
その人物が今まで必死にこの乾燥機の為に全身全霊をかけてくれていた、
発注メーカーの担当者。今現在の東京出張所のメンバーなのだ。

コンベア式汚泥乾燥機の5号機の設計は殆どこの人物に頼った。
そして製作する人間はどうしても我らが職人に頼らざるを得ない。
そのため我が町工場の我らが職人は休日なし。そして毎日夜遅くまでの残業という
ことにどうしてもなった。

今にして考えてみれば、誰一人として文句、不満を言うことがなくそして助け合いながら
ものづくりを続けていた。
それは助け合うからこそ、疲れた体でものづくりが続けられたのであろう。
そして、誰一人としてダウン、倒れることがなかったのは幸いであったと言える。
あれだけ過酷な労働条件であったにも係わらず、誰一人として脱落者が出なかった。
それについては何と表現すべきなのであろう。
果たして言葉に表すべきなのであろうか。


いずれにせよ5号機でようやく成功する事になる。
このブログでも5号機で成功するまで4号機で失敗した後は一切記事にしなかった。
それは最早後がなかった事の裏返しでもある。

我が町工場の一人一人そして技術者魂に溢れた人物のお陰で成功にいたる。

塗装汚泥を投入し、そして加熱部を通る時間をひたすら待つ。
その加熱部を通る際は塗装汚泥の乾燥の具合は全く外からはわからない。
そして排出部から出てくる乾燥した塗装汚泥を皆いっせいに覗き込む。
それは今まで目にしたことのないふっくらと乾燥した塗装汚泥であった。

それを助っ人である技術者は箱に集め重量を測る。
そして投入の際の重量と比較する。

やはりその顔の表情には笑顔というほころびがあった。
その笑顔につられ我が町工場の全員の顔の表情は満面の笑顔へと変化する。
たった今。つい先程まで不安げな心配で胸が一杯であることが外から誰しもがわかる
表情だったのだ。
その表情が誰しも笑顔へと変わったのだ。

成功である。
失敗ではないのである。

その5号機でようやく成功したのが実に年は変わり既に2月の初め。
冬の季節の真っ最中で寒さが身に染みる季節。
その寒さを吹っ飛ばすごとくに塗装汚泥は乾燥することに成功したのだ。
8月盆休み明けから約半年。何と6ケ月の月日を要した事になる。
これまでに支払った金額はもちろん小さな町工場としては莫大な金額だ。

そして成功して早々に納入するべくエンドユーザーの方に来福して頂く事になる。


今回の5号機の写真は下記の通り。
ヘッド部(前)とテール部(後)のプーリー(ローラー)の加熱は従来通り。
これには変更はない。
但し、コンベアベルトで加熱する部分は大いに変貌を遂げる。
従来あったコンベアベルトで挟み込む構造を今回はあきらめた。

そしてベルトコンベア部分を通過するメインの加熱乾燥部分は上からはヒーターによる
加熱。
そして下の部分からはコンベアベルト受け、滑り部分を蒸気で加熱する。
その熱をコンベアベルトへ伝えその熱で汚泥を乾燥させた。
実のところ今方法は、従来の方法と何ら変わらない。
しかし、その蒸気で加熱する構造を全く従来と異なる造りとしたのだ。
蒸気の圧が下がらない。圧が下がらないのであれば当然温度も下がらない構造へと。

つまり、このベルトコンベア式乾燥機のメインの乾燥部分の構造を全く新しいものへと
改造したのだ。
確かにベルトコンベア上からの加熱方法を蒸気をあきらめ、電気エネルギーによる
ヒーターへと変更した。
しかし、一切火は使用していない。
安全であることには変わらない。
そしてヒーターヘの変更における電気量のランニングコストは、汚泥処理の産廃費用と
比較すると十分にペイする金額であった。

ヒーターは少々特殊なヒーターを採用している。
このヒーターを使用すればこのコンベア式汚泥乾燥機。
5号機を発展させれば、十分炭化装置としても活躍できそうであったし、今後製作を
実行する価値はあると判断できた。
そうなると短いそして省スペースであるコンベア式乾燥機で炭化までできる
コンベア式炭化装置へと展開できそうだ。

とうとう5号機で成功した。
今までの疲れが吹っ飛んだのは書くまでもないであろう。


5号機の外観。
上部ヒーターによる加熱の様子。

5号機 ヒーター


排出口。
プーリー(ローラー)は一本へと数が減っている。

5号機 排出口


投入口。ここは2本のプーリー(ローラー)で挟み込みながら汚泥を進行させる。
上のプーリー(ローラー)が加圧ローラーで、汚泥の厚みをこれで調整できる。
汚泥の厚みが薄ければ乾燥できる量は減る。
厚みが厚いと乾燥量は逆に増える。
しかし、乾燥具合とのからみが当然でてくる。
コンベアスピードも乾燥には大切な要素であるためインバータにより可変速可能としている。

5号機 手直し

弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月19日掲載。    目次へ戻る。
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【弟7話】

(弟5号機)

特許出願済みのベルトコンベア式汚泥乾燥機。
今年の2月中旬5号機目でようやく成功した。

成功した場面よりはこのブログでも書いていた。

エンドユーザーの方も遠方より新幹線で来られた。
完成後即座に来福して頂いた。

この方に首を縦に振って頂かない事には、このコンベア式汚泥乾燥機。
我が九州は福岡、博多よりは旅たつことはできない。
つまり、このコンベア式乾燥機が成功したかどうかの最終判断はこの方にかかっていた。

遠方からわざわざ来られたのだ。
時間は限られている。
そのため、事務所にも寄らずに工場へ直行される。
そして工場へ入ると即座にこの汚泥乾燥機から排出される塗装汚泥の乾燥具合を
眺められた。
過去一度来訪されたがその当時の乾燥具合と比較するとまさに雲泥の差の乾燥具合
であった。
首を縦に振りながら頷きながら眺めらている。
そして、塗装汚泥の投入から排出までの様子をつぶさに厳しい目で一つ一つ確認して
いかれる。
そして、何点か指摘がある。
それについては我が町工場の我らが職人が即座に対処改善していく。

そしてついに答えがでる。

「はい。これでいきましょう。」と。

この言葉を聞く為にどれだけの時間が必要だったのだろう。
どれだけのお金を費やしたのだろう。
どれだけの人間がかかわってきたのだろう。
どれだけの力が必要だったのだろう。
どれだけの気力が必要だったのだろう。
どれだけの汗が必要だったのだろう。

それでも何点かは対処改善が必要な部分は残っていた。
それに対してはもちろん我らが職人そしてその今現在東京の出張所のメンバーの
夜遅くまでの頑張りで終わらせたのであった。

据付する現地での工事日程と合わせていよいよ出荷。
4トントラックに載せいよいよこのベルトコンベア式汚泥乾燥機は旅たつ事になる。

その日が今年2006年2月16日。忘れもしない日にちだ。
遠方だ。2月18日に無事到着したと連絡が入る。

しかしだ。出荷したことに我が社全員ほっと胸を撫で下ろしたのだが、設置したはずの
現地から何度も連絡が入ることになるのである。


下記が現地でのベルトコンベア式汚泥乾燥機の塗装汚泥を実際乾燥している
様子の写真です。

このコンベア式乾燥機。
構造は上からは電気ヒーターでの加熱。
そして下からは蒸気での加熱による方法を取っています。

この上からの加熱方法。
実は乾燥すべき汚泥に直接高温の蒸気をかけることによる加熱、そして乾燥も
考えました。
しかし、4号機までの経験で蒸気の扱いにくさを存分に味わっていました。
蒸気はある一定の圧力で保っていないと液化します。
つまり気体から液体へ変化するわけです。
ベルトコンベアの上部というかなりの面積をある一定の圧力で保つための構造に
するのはかなり詳細に検討しないといけません。
当然更なるお金と時間を要します。
しかし、その構造が果たしてうまくいくか実際やってみないとわからないところが
多いのが蒸気による加熱です。

実際やったとします。
蒸気による加熱による乾燥を。直接汚泥に蒸気を掛ける乾燥を。
最も心配しそして起こりうると考えられる現象に気体から液体になる液化があります。
蒸気をかけた時点では良いかもしれません。
しかし、時間が経つにつれ圧が減り周りのエネルギーを奪い液化する。
当然汚泥は濡れる。
乾燥どころかより一層塗装汚泥は水分を含むと予想しました。

確かに加熱乾燥させるエネルギーに蒸気を使用するということは素晴らしい事でしょう。
先ず工場内で余ったエネルギーである。
そして安全である。

しかし、今回のコンベア式汚泥乾燥機は、投入した塗装汚泥が確実に目に見えて
乾燥しないことには機器として成り立ちません。

そのため乾燥のメインであるベルトコンベアの上部からの加熱は
より確実である事を求め電気ヒーターを採用しています。

そして今現在稼動中のコンベア式乾燥機は当初の要望以上の乾燥を
実際行っています。

しかし、まさしくこの世にない乾燥機です。
設置後も我が社の対応は時間を要したのです。


コンベア式塗装汚泥乾燥機5号機。この世にない乾燥機。
今現在の投入口の様子です。
ここまでたどり着くのに実はかなりの時間を要しました。

5号機 投入口 現地にて01




現地での乾燥機の活躍の様子です。
私も今現在この写真をじっくりと眺めています。

]5号機 現地にて


弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月20日掲載。    目次へ戻る。
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最終弟8話】

(弟5号機)

特許出願済みベルトコンベア式汚泥乾燥機。
本年度2月に出荷し即座に現地で組立そして据付された。
そして本稼動。
我が九州は福岡、博多の町工場で試運転は十二分に行った。
それはようやく成功した5号機で何度も塗装汚泥をコンベア式乾燥機に投入し、乾燥させた。
何度も汚泥乾燥機で試運転は行われたのだ。

しかし、やはり現地は我が町工場とは違う。
我が社からは今現在の東京出張所のメンバーのみが現地へ足を運び活動していた。
現地では地元の業者にお願いし据付そして電気、配管工事と行っていただいた。

ところがだ。実際現地で我が社の汚泥乾燥機を実際稼動させてみると色々とトラブルが
起きた。
それはもちろん誰しもが予測できない内容だった。
その理由の一つに当初計画していた処理量よりかなり多めも塗装汚泥がコンベア式乾燥機に投入される。
それは予定していない処理量だった。

しかし、何とか処理し乾燥させねばならない。
エンドユーザーの方々にも手を貸して頂き、現地の我がメンバーと懸命の努力をしていた。

その対応については何度も我が社に連絡が入る。
当然、相談しながら事を進めて行く。

しかし、その技術者一人では到底手に負えない状況になる。

その時期。我が町工場は大きな短物件をこなさねばならず一人として職人を
欠くことができない状況だった。
一人でも欠けるとかけると果たして納期に間に合うかどうか。
とても厳しい状況であった。

しかしだ。現地からは何度も連絡が入る。
そして一刻の猶予もない。
そのためとうとう我が町工場よりベテラン職人を一人派遣する事になった。
そのベテラン職人は現地で存分に力を発揮する事になったのだ。
しかし、残された職人のより一層の頑張りで納期は間に合うのだが。

その職人は一旦福岡に戻ってきたのだが、もう一度現地へ旅たつ。
そして結局は現地での滞在はかなりの期間に渡った。
日曜日もなしで技術者と共に力を尽くしていたのだ。

どれくらい頑張っただろうか。
3月に既に入っていただろうか。
ようやく引き上げることに。

しかし結局2月には検収は上がらなかった。
つまり2月末の時点ではエンドユーザーの方は到底受け取れないという事だ。
実はこの連絡を受けた際非常なる落胆を覚えたのを思い出す。

2月で検収あがらないのであれば入金が1ケ月遅れることになる。
この2月にも運送代など結構、出費があった。
支払いを再度見直さねばならない。
実は少々期待していたのだ。

しかし、我が社は再度銀行より助けられる。
そして銀行からは多目の金額の提示さえあった。

このエンドユーザーのお客様。
とても素晴らしいお客様だ。

とても対応が優しく大変丁寧に対応していただく。
結局2月には検収は上がらなかったが、3月にはきちんと検収をあげていただいた。

本来であれば3月も検収は上がる状況ではなかった。
そして3月には私も実際現地へ足を運びこのベルトコンベア式汚泥乾燥機の乾燥している
状況をつぶさに確認させて頂いた。

手直しの部分はあった。
そしてその対応は結局4月に入ってしまうのだが。

しかし、お客様のご好意により無事3月には検収をあげていただくことに。

検収が上がるまでの期間は一体どれほど日時がたったであろう。
実際我が町工場がこの汚泥乾燥機を製作初めてどれだけの日時を要したであろうか。
実際お客様の工場で稼動しているのは5号機。
4号機まで全て失敗。

成功した5号機も現地では即座にはうまく稼動せず手直しを続ける。
しかしようやくお客様から検収の了解を頂く事に。

この検収をどれだけ待ち望んでいただろうか。
この検収をあげていただく為にどれだけ我が町工場そしてこのコンベア式汚泥乾燥機に
携わった人たちが待ち望んでいただろうか。

この汚泥乾燥機の為に我が町工場が始動したのが去年2005年の8月中旬。
そしてようやく検収が上がったのが今年2006年3月。
それまでに何と7ケ月半の月日を要した事になる。

この検収という言葉を聞いた瞬間。
私は我が町工場はまだ生き残れる。
我が町工場の我らが職人が路頭に迷う事はなくなった。

安堵感。安心感。そして安らぎを存分にいただいのだ。


しかし、検収が上がった3月以降も我が町工場のこの5号機目のベルトコンベア式
汚泥乾燥機の手直しは続いた。

4月には我が町工場の職人を何名か派遣しそしてその派遣は長きに渡った。
もちろん現在の東京出張所のメンバーも一緒だ。

その後も続く。
正直に、事実を書く。

実のところ全ての手直しが終わったのが先週の土曜日。5月20日。
この手直しは我が町工場での製作しなくてはいけないものがあった。
そして市販品の部品も必要であった。
何とこの市販品についてはお客様に全て購入していただく。
我が社は購入すべき金額が高い部品は購入の必要がなかった。
有難う御座いました。

製作終了後試運転を行い現地へと送る。
そして5月20日に取り付けとなったのだ。
この日はお客様にもかなり手助けいただいている。
我が社からは東京のメンバーのみは派遣したのだが。

これによりいつの間にか我が町工場で開発しそして成功したコンベア式汚泥乾燥機は
完全に設置した事になろう。
ようやく5号機目で成功し設置した汚泥乾燥機は今現在は順調に稼動しているはずだ。

無事お金も我が社へ入り、本当の安堵感に包まれている今現在の自分がここにいる。
回収金額については全くエンドユーザのお客様には係わりないことだ。
それにここで書く必要はない。

いづれにせよ昨年8月中旬から始動し初め、手直しまで終了した5月20日までに
要した期間。
何と9ケ月半ということになる。

この期間を何と判断するか。
確かに我が町工場はこの世にない製品を果敢につくってきた。
もちろんこれからもつくるつもりだ。

それには失敗がある。
そして実際現地で稼動した後の手直しも確かにある。
この世にない製品の製作だ。
成功し実際順調に稼動するまである程度期間を要する事は多い。

しかし、これほど現地での順調稼動に至るまで期間を要したのは、我が社の創業以来
初めてだ。(我が社創業者である我が頑固親父の発言)

そして、こんな事ばかり続けていると当然会社は傾くであろう。

これでようやく特許出願済みベルトコンベア式汚泥乾燥機はこの世にある製品へと
変貌を遂げたのである。

下記写真は現地での設置作業の様子です。
これらは何とエンドユーザーの方に頂きました。
このコンベア式乾燥機は既存のベルトコンベアと置き換えるだけで使用可能です。
決して場所を取らずそして火気を使用せず安全です。
それに安価です。
処理量が少なければ蒸気のみの加熱で乾燥できる可能性もあります。

写真には(新) 我が社の製作コンベア式乾燥機、そして(旧) 解体されたベルトコンベアも
写っています。

5号機 現地据付様子01

5号機 現地据付02

5号機 現地据付03

今回でこの特許出願済みベルトコンベア式汚泥乾燥機の連載は終了したいと思います。
今内容についてのご質問等あればお気軽にお声をお掛け下さい。

それに私が書き損ねたあるいは書き忘れの部分があれば次回以降に再び
記事にする可能性はなきにしもあらずです。

しかしながら今回でこのコンベア式乾燥機の連載は第8話ではありますが
一区切りをつけるべきでしょう。

ここまで続けて読まれたのならば大変感謝するとともに有難う言う言葉を
送らせて頂きます。
本当に有難う御座いました。感謝です。


弊社ブログ「もう悩みません。コンベア、産業機械」2006年5月22日掲載。    目次へ戻る。
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